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【特集】ジュビロがいて、わたしがある(1)

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静岡県磐田市

ジュビロで喜んだ年
ジュビロで悲しんだ年
30年間、私たちのそばには
いつもジュビロがあった
今までも
そして、これからも
ずっとジュビロと共に

◆国内タイトル
◇J1リーグ
・年間 3回(1997,1999,2002)
・1stステージ 4回(1998,1999,2001,2002)
・2ndステージ 2回(1997,2002)
◇J2リーグ 1回(2021)
◇Jリーグカップ 2回(1998,2010)
◇天皇杯 1回(2003)
◇スーパーカップ 3回(2000,2003,2004)

◆国際タイトル
◇アジアクラブ選手権(1998)
◇アジアスーパーカップ(1999)

■ジュビロと共に歩んだ わたしたちの30年
◆旧東海道見付宿 商店会 見付あきんど組
市内には、ジュビロ磐田のホームゲームがある日に軒先などへジュビロフラッグを掲げている商店が数多くある。商店が立ち並ぶ旧東海道の見付宿場通りでは、約1キロにわたって街路灯にジュビロ磐田のフラッグが常に掲出されている。見付地区の3商店会でつくる「あきんど組」の代表代行である金子さんは「ジュビロのJリーグ昇格時から商店街でフラッグを掲げるようになりました。このフラッグを見て、ジュビロを観戦する人が少しでも多くなればと思います」と話す。
ジュビロ磐田が根付く街、磐田市。試合があった次の日にはいつもジュビロ磐田の話題がある。「試合の次の日には、来店してくれたお客さんや地域の人と『昨日ジュビロ勝ったね』という会話が日常的にあります。それはもう当たり前になってしまったけど、すごいことだなと思います」
今日も見付宿場通りには、サックスブルーの空の下、ジュビロフラッグが掲げられている。「僕らはフラッグを付け替えたり、ポスターを貼ることぐらいしか出来ないけど、これからも当たり前に応援していきます」

◆ジュビロスポーツボランティア 鈴木達也(たつなり)さん
清掃やチケット確認、座席案内など、ホームで行われるジュビロ磐田の試合は、多くのボランティアによって支えられている。長年ボランティアを続けている鈴木さんもその一人だ。「96年からボランティアを続けています。現在は、運営委員長として、当日のボランティアの配置などを行っています」
鈴木さんも、元々は長年のジュビロサポーター。「子どもがサッカー好きなこともあり、一緒に試合を観ている中で、気づいたらサポーターになっていましたね」
ジュビロ磐田を応援し続ける中、このチームを支える側に立ちたいと思ったという。「地元にあるチームなので、支えることができたらと思っていたところ、ボランティア募集の案内があったので応募しました」
鈴木さんは長年サポーターそしてボランティアという形でジュビロ磐田を応援し、チームが苦難のときも一緒に過ごしてきた。「人間と同じようにチームも落ち込む時期もあります。そんなときこそ支えながら、応援し続けたいと思っています」
鈴木さんの日常はジュビロ磐田とともにある。「ジュビロの試合日程を軸に、日々のスケジュールを立てています。もう長年なので、これが当たり前になりました」

◆ULTRA’IWATA 中澤武志さん
サポーター団体の1つである「ULTRA’IWATA」に所属する中澤さん。試合では、コールリーダーとして声を枯らしながら選手たちを鼓舞する。「もともとサッカーが好きで、ジュビロ磐田の前身のヤマハ発動機サッカー部時代からずっと応援しています」と語る。
試合中、ジュビロ磐田が得点するとスタジアム全体が活気付く。しかし、中澤さんはジュビロ磐田の戦況が厳しいときに一番力を入れるという。「僕たちは選手たちに盛り上げてもらうんじゃなくて、選手たちを盛り上げる役だと思っています。だから、ここぞというときに僕たちが選手たちを鼓舞して、得点を取らせるんだという気持ちでいます」
中澤さんは、コールリーダーとして、ホームの試合はもちろん、アウェイの試合も駆けつける。「ジュビロは、生活であり、切っても切れない存在です。今回のJ1昇格のときも、職場や近所の方々から自分は選手じゃないのに『おめでとう!』と言ってもらいました」
来シーズンも、ゴール裏から中澤さんの声がジュビロ磐田の選手たちを鼓舞する。

       

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