■語り継ぐ者たちの想い″〜次世代へ、海を超える平和の絆〜
◆緑十字機不時着の碑
緑十字機不時着から72年経過した平成29年8月、鮫島自治会によって記念碑が建立されました。
この記念碑は、当時の歴史的出来事を後世に語り継ぐ地域のシンボルとして、また訪れる人々のランドマークとして佇(たたず)み、記念碑に刻まれた文字は、市民が終戦の一端を担った誇りと平和への願いを語っています。
◆緑十字機不時着を語り継ぐ会
平成29年11月1日、鮫島海岸で起きた終戦につながる重要な出来事や、平和の大切さを市民などに広く伝えることを目的として、市民団体としての「緑十字機不時着を語り継ぐ会(緑語会)」が発足しました。
◆多彩な活動
緑語会は、講演会や現地観光、現地案内など多彩な活動で緑十字機の歴史を広く伝えています。また、緑十字機が飛び立った伊江村(いえそん)との交流も深まり、令和2年には「伊江島緑十字機を語る会」が発足し、その年の8月20日、紙飛行機を磐田市へ向けて飛ばすイベントを開催し、伊江村からの平和への願いが海を越えてつながっています。そして、令和6年には伊江村からハイビスカス120鉢が市内小学校へ寄贈され、交流が一層進展しています。
「緑十字機不時着を語り継ぐ会」の代表を務める中田智久さんは次のように語ります。「磐田の住民の支援により終戦処理が進み、現在の平和に大きな役割を果たしました。このことは郷土の誇りであります」
◇講演会や現地案内、イベントを開催し、動画や地図、写真や模型を使いながら、分かりやすく伝えています。
◇伊江村へ訪問した際には伊江村の職員たちによる歓迎を受けました。令和2年8月20日には、昭和20年8月20日に緑十字機が伊江島を飛び立ったように、18時40分に伊江村で紙飛行機を飛ばし、同日23時55分には鮫島海岸でもイベントを開催しました。
◇伊江村の特産品であるハイビスカスが市内小学校に贈られました。先祖が緑十字機の乗組員を救援した1人の大橋奈々さんは「平和の想いが込められた大切なハイビスカスだと感じます。平和を忘れずに過ごしたいです」と話しました。大橋さんは、自宅の庭でもハイビスカスを育てています。
◆磐田市の歴史を多くの人に知ってもらいたい
平成28年6月、私が鮫島自治会長の時にテレビの取材がきたことで、緑十字機不時着の出来事を知りました。振り返ると、この時はこのような活動を自分がすることになることは想像もしませんでした。
周囲からの勧めもあり、自治会内に歴史の特別部会をつくり、鮫島海岸に記念碑を建てることを決めました。寄付を募ったところ、市内の人たちだけでなく、市外、県外からもたくさんの寄付をいただきました。そのとき感じた皆さんの大きな期待に、「私がやるしかない」と思いました。
緑十字機不時着の出来事は、磐田市民でも知っている人が少ない歴史です。これからの人に伝えていくためには、まだまだ課題が残っていますが、磐田市の人たちだけでなく、多くの人に知っていただきたいです。
今後は地域活性化を目指して歴史を観光化していくことが重要だと考えています。観光を目的に、磐田市に来てもらい、歴史を学び、体感し、経済も、想いも地域還元する仕組みができれば、後世への伝承ができると思います。これからが大切です。
◇緑十字機不時着を語り継ぐ会 発起人
三浦晴男(はるお)さん 76歳
緑十字機不時着を語り継ぐ会を立ち上げ、さまざまな活動を通じて、歴史や平和の継承に尽力している
◆磐田市に誇りを持って欲しい
緑十字機を知ったきっかけは、旧見付学校で展示されていた緑十字機の尾翼を見たときです。そこには、簡単な説明が記されていましたが、私はそれまで聞いたことがありませんでした。これをきっかけに調べ始めたところ、現在の日本の歴史の教科書でも記載されていない話であり、歴史に埋もれた出来事であることを知りました。
ポツダム宣言を受諾後に、降伏軍使を乗せて、日本の命運をかけて飛行した緑十字機は、日本海軍の太平洋戦争における最後の任務でもありました。私は緑十字機の歴史を、どうにかして次の世代の人たちに語り継ぎたいとの想いで、調べ上げ、書籍にまとめました。
これからの若い世代の人たちにも、緑十字機不時着の歴史を知っていただき、歴史に関心を持って欲しいと考えています。そして、現在の日本の平和が、先人たちの想いでつながったものであることを感じて欲しいと思います。
◇郷土史研究家
岡部英一(えいいち)さん 74歳
磐田市の3つの歴史(不昧(ふまい)と宗雅(そうが)と見付宿、緑十字機決死の飛行、一言坂の戦い)を研究している