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【トピック(1)】旧見付学校開校150周年

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静岡県磐田市

旧見付学校は、明治8年(1875)8月に開校し、今年で150周年を迎えます。日本に残る最古の近代小学校の1つで、国指定の史跡となっています。ここでは、旧見付学校の魅力とこれまでの歴史を紹介します。

■建物の魅力
旧見付学校は日本最古の木造擬洋風(ぎようふう)小学校校舎で、明治期の姿を今に残しています。開校時は2階建てで、屋上に二層の楼(ろう)を重ねて造られました。玄関にはエンタシス様式に似た飾り柱が設けられ、外壁は幾重にも白い漆喰(しっくい)が塗られている、見た目にも美しく頑丈なものです。校舎の土台は遠州横須賀城の石垣を使用しています。内部には中央階段の左右に教室などを設け、床板は斜張(ななめば)りとしています。
明治16年(1883)には生徒の増加により2階部分を上下二層に分け、3階部分を増築しました。最上階からは磐田のまち並みを見渡すことができます。

■現在の取り組み
館内は明治期の授業風景を再現し、教育資料や郷土の歴史・民俗に関する展示を公開しています。また、小学生を対象にかすりの着物を着て明治・大正期の授業や遊びを体験するイベントなども開催しています。学校ではできない貴重な体験を通して現代の便利さに気付くとともに、文化財を大切にする思いを育んでいます。
人々に愛され大切にされてきた「磐田のシンボル」を次世代に引き継ぐため「磐田市旧見付学校附磐田文庫保存活用計画」を策定し、施設の維持管理に努めるとともに、これからのまちづくりにも生かしていくことを目指します。

■開校から今日まで
明治5年(1872)の学制発布(がくせいはっぷ)を受け、翌年5月に見付学校の開校準備が始まりました。同年8月、市内の宣光寺(せんこうじ)や省光寺(しょうこうじ)などを仮校舎として開校しましたが、西洋風の近代的な校舎建設の要望が高まりました。
淡海国玉神社(おうみくにたまじんじゃ)神官・大久保忠利(おおくぼただとし)が寄進した境内に、名古屋の宮大工棟梁・伊藤平右衛門(へいえもん)(後の9代目伊藤平左衛門(へいざえもん))が本校舎を建設しました。明治8年(1875)8月7日に落成、開校式を行いました。
見付学校は市内で同時期に建設された坊中学校(ぼうじゅうがっこう)(鎌田)、西之島学校(豊田西之島)とともに遠州3大学校と呼ばれ、その中で唯一建物が現存しています。
大正11年(1922)に小学校校舎としての役割を終えましたが、その後も学校の仮校舎や病院として使用されました。昭和28年(1953)からは磐田市立郷土館となり、平成4年(1992)に磐田市旧見付学校と改称して現在に至ります。

■見付学校 校舎の沿革
1875 擬洋風木造の見付学校上棟・落成
1883 3階部分を増築、5階建てとなる
1887 見付学校から見付尋常(じんじょう)小学校となる
1908 男子部と女子部に分かれ、見付女子尋常高等小学校となる
1914 見付尋常高等小学校男子部の一部となる
1922 県立見付中学校(現磐田南高校)の仮校舎となる
1925 見付高等裁縫女学校となる
1939 准教員養成所となる
1942 高等国民修練所となる
1945 浜松陸軍病院見付臨時分院となる
1946 国民健康保険組合立磐田病院となる
1953 磐田市立郷土館となる
1992 磐田市旧見付学校となる

■イベント情報
◇市制20周年and旧見付学校150周年記念講演会
とき:12月6日(土)
※詳細は10月ごろ広報紙などでお知らせします
内容:旧見付学校や蔵の残る見付のまち並みを中心としたこれからのまちづくりについて、皆さんとともに考えます。また、旧見付学校附磐田文庫の保存と活用についてお話しします。

問合せ:文化財課
【電話】0538-32-9699

       

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