■見えないバトン
~始まりは、気づく・察する・慮(おもんばか)る~
ふれあい交流センター センター長
袴田恭紹(はかまたやすつぐ)
「先日は大変お世話になりました」と受付から声が聞こえてきました。心当たりを探しながら、ゆっくり受付窓口に行くと「こんなに元気になりました」という言葉に、あの日の様子がよみがえってきました。
階段に力なく座り込んだ女性に「大丈夫ですか」と声を掛けても、反応できずにいる姿を見て、救急車を呼びました。間もなく救急車が到着し、隊員の方々のてきぱきとした動きで、車内に運ばれ、病院へと向かいました。救急車が出発してからも容体が気になっていましたが、夕方にご家族から無事の連絡を受け安心しました。そして、本日、本人から「もう大丈夫です」という力強い声を聞くことができました。
見えないバトンが繋がっていく尊さを強く感じました。スタートは、具合の悪い方がいらっしゃることを事務室に伝えてくださった方です。調子の悪い方に付き添い、長い間トイレから出て来ないことを心配し、異常を伝えるために事務室のドアをノックしました。そして、事務室から救急車へ、救急車から病院へ、病院から医師へと次々にバトンがつながれていきました。もちろんこの間、ご家族や活動団体へも枝分かれしながらバトンが繋がっていきます。
目の前にいる人の顔色の変化に気づく。体調が悪いことを察する。トイレに一緒に行こうかと慮る。「気づく」「察する」「慮る」ことから、全てが始まっています。表情、顔色、視線、姿勢、生気などから総合的・直観的に判断しながら、人と人とがつながっていくことは、人間ならではリレーなのかもしれません。
最近、AIの広範囲な分野での活躍が目立ち、人間に代わって仕事をする様子に頼もしさを感じます。しかし、進化を続けるAIと人間が共存することへの戸惑いもあり、前述のような人間らしさに出会うとほっとします。「気づく、察する、慮ること」「見えないバトンを繋いでいこうとすること」は、人間ならではの力であると考えます。「人間ならでは」「私ならでは」の力を自覚すること、発揮すること、磨くことが、人権(人間)を大切にすることではないかと思いました。

