■幸せに向かう流れ
ふれあい交流センター センター長
袴田恭紹(はかまたやすつぐ)
「えい、やああっ」力強い子どもたちの掛け声が体育館に響き渡りました。会場にいる人たちの鼓動が共鳴しているかのように一体感が生まれ、ふれあい交流センターまつりの団体発表がスタートしました。まさに「命の輝き」を感じる時です。
しかし、このすがすがしい一体感とは対極にある「人を誹謗中傷する」「差別をする」といった行為が、大きな社会(人権)問題となっています。特にインターネット上の誹謗中傷などの拡散は、我慢の限界を越え、心を傷つけられ、溢(あふ)れる悲しみや怒りで苦しめられる人を数多く作っています。想いを伝えるという意志の無い多数が、いくら群れになっていても一体感を感じることはありません。「拡散」という現象の怖さは、最初は事実を基にした個人の意見でも、広がっていくうちに事実とは離れ、「攻め立てること」を目的とした巨大な流れを形成していくことです。ただ、止めようもない程の巨大な流れも、一人一人の力が集まってできていることを忘れてはいけません。何処(どこ)に力が向いているのかを一人一人が認識すれば、流れは変わるかもしれません。「何処」について、民生委員の方々との会話の中でヒントをいただきました。
最近の子どもについての課題を考える中、自然と教育している大人側に問題があるのではないかという話になりました。次第に、子どもたちを育てている親世代が心配であるという流れになり、過干渉や過保護、反対に虐待など、昔と比較して違ってきているという意見が多く出てきました。しかし、そこで流れを変えたのは「今の親世代を育てたのは、私たちだからね。反省しないと」という一言でした。流れの方向が子どもから親、親から社会に行ったのですが、最終的に親世代を育てた自分たちに戻ってきました。外に向かって攻めている様子はよく見聞きするのですが、なかなか自分の方に向かうことはできないものだと思います。
人は、伝えたいことがあって表現するのであり、人を傷つけたいと思っているのではないと信じています。自分の考えを伝えることは重要であり、よりよく生きていくのに必要なことです。その時、自分の考え(意見)が何処に向かっているのかを考えることができれば、巨大な意思を持たない流れはできないであろうし、できたとしても変わるかもしれません。きっと、その新しい流れは、幸せに向かうのではないでしょうか。