記事を読み上げる
■家康公と磐田市
市長 草地博昭
大河ドラマ「どうする家康」の放送が始まりました。徳川家康公が青年期を過ごした遠州地域がどのように表現されるのか、楽しみにしている方も多いと思います。
本市においても家康公関連の史跡が注目される絶好の機会ととらえています。本市と家康公はゆかりが深く、市内の地名も歴史を辿る手掛かりになっています。例えば、「城之崎(きのさき)」は城山球場から城山中学校一体が未完の城跡だと言われており、家康公が武田軍を迎え撃つために城を整備しようと試みた跡も残っています。「御殿(ごてん)」は、家康公が見付・中泉支配の拠点として「中泉御殿」を造り、東海道往来時の宿泊施設として利用したほか、軍略の拠点としていたと言われています。そのほかにも「社山(やしろやま)城跡」「一言坂(ひとことざか)の戦い」「冷酒清兵衛(ひやざけせいべえ)」など、戦跡や伝説は数多く残されています。ちなみに、昨年10月に「世界かんがい施設遺産」に登録された「寺谷用水」は、400年以上に渡る天竜川左岸地域の利水治水両面への貢献が評価されたものですが、これも家康公の命を受けた平野重定公が「農民福利の基盤は水利の安定にあり」の考えのもと整備したのが発端であり、家康公の業績が今に生きているとも言えます。
ぜひ皆さんも、ゆかりの地に足を運び、歴史に思いを馳せてみてください。「どうする家康」を契機に、歴史や文化に興味を持つ市民が増え、市外からも多くの方々が来訪してくれることを期待しています。