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令和4年度広島平和記念式典中学生派遣事業 ~想いを感じる 次世代に伝える~(1)

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静岡県磐田市

「あの日」から77年が経過し今年も迎えた8月6日。1つの爆弾によって奪われた日常、笑顔、命。広島を訪れた2日間、当時の状況、人々の願いなどを学ぶことで「平和」について改めて考え、次の世代に受け継いでいきます。

磐田市は、平成21年4月1日に世界平和の実現を強く希求し、「核兵器廃絶平和都市宣言」を制定しました。
これを受け、平成22年度から毎年8月6日に広島市で開催される広島平和記念式典に中学生を派遣、平成25年度からは小学生も加え、これまでに延べ11回、約280人の小中学生を派遣してきました。
この派遣事業は、これからの時代を築いていく子どもたちに、実際に広島を訪れ平和記念式典に参加し、「戦争」と「平和」を感じてもらうこと、この地で見て、聞いて、湧き上がる思いを周りに、そして次世代へ継承してもらうために実施しています。
今回は新型コロナウイルスの影響で中学生のみの派遣となりましたが、各校の代表生徒11人が学校の授業だけでは学ぶことができない「平和の尊さ」「戦争の壮絶さ」などを2日間にわたり現地で学び、理解を深めました。

◆桜が伝える戦争の記憶
爆心地から北に約2kmの安田女子高校には「被爆桜」と呼ばれる桜があります。この桜は75年間は草木が生えないと言われた被爆地で、翌年の春に見事な花を咲かせ今日に至ります。第1回派遣事業の際に、同校の生徒と偶然話をしたことがきっかけで被爆桜の苗木をいただき、それから毎回訪問をさせていただく縁になりました。現在、いただいた被爆桜は市内の小中学校やかぶと塚公園に6本植えられており、春に美しい花を咲かせます。
生徒たちは同校の生徒会から被爆桜についての説明を受けると、幹に触れ、平和に思いを馳せていました。

◆被爆地で感じる
8月5日(金)、広島市の平和記念公園と平和記念資料館を訪れました。この時期は、この地域一帯が平和への思いであふれています。現地でしか感じることができない雰囲気の中、爆心地や原爆ドームなどを見学しました。ボランティアガイドからの当時の様子についての説明をメモを取りながら熱心に聞く生徒の眼差しは真剣そのものでした。
平和記念資料館には、被爆者が実際に身に着けていた衣類や被災した広島の街並みの写真などが展示されており、生徒たちは原爆の恐ろしさ、戦争の爪痕などを目の当たりにしました。
園内の原爆の子の像では、平和を願って生徒たちが折った千羽鶴を奉納しました。

◆平和記念式典に参加して感じる
8月6日(土)、午前8時から平和記念公園で被爆者、遺族、国内や世界各国から合わせて2854人が参加して平和記念式典が開催されました。
式典では広島市長による「平和宣言」が読み上げられた後、地元のこども代表による「平和への誓い」を聞きました。スピーチにあった「過去に起こったことを変えることはできません。しかし、未来は創ることができます」という言葉は、磐田の子どもたちの心に深く響いたことでしょう。
原爆が投下された時刻と同じ午前8時15分には原爆死没者への追悼と世界恒久平和を祈り「黙とう」が行われ、生徒たちも周りが静まった厳(おごそ)かな雰囲気の中、強く祈りを捧げました。
式典に参加した生徒からは「一生に一度、経験できるかどうか分からないような非常に貴重な機会でした。国内だけでなく世界各国からも参加者がいて、世界の平和に対する意識を感じることができました」との感想が聞かれました。

◆磐田市平和祈念式で伝える
▽平和への想い
松島 琢哩(たくり)さん(豊岡中)

広島平和記念式典への派遣を受けて、自分の中で大きな変化がありました。それは「平和に対する考え」です。
今まで平和とは「何不自由なく暮らすことができ、悲しみや苦しみが無いこと」だと思っていました。しかし、いろいろなことを見聞きしていくうちに、その考えが少しずつ変わっていきました。今、私が思う平和は「戦争と核兵器のない世界」です。今の日本は戦争は起きていませんが、「過去」にあったということは決して忘れてはなりません。そして二度と繰り返してはいけません。
私たちにできることは、後世に繋いでいくことです。ただ伝えるだけでなく、伝え続けることで、平和に対する思いを人々に持たせることも重要です。
「歴史に『if』はない。」それすなわち未来は変えられるということです。人類の歴史上、初の被爆国である日本。この出来事がこれで最後になることを強く願います。
(スピーチから抜粋)

       

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