■vol.85 「違い」や「多様性」を認める人権感覚
ふれあい交流センター センター長 藤田 圭二(ふじたけいじ)
10年近く前のことですが、私が小学校の校長をしていた時、全校会礼で「努力のツボ」という話をしたことがあります。それは、「人は生まれながらにして、『努力のツボ』を神様からもらいます。そのツボは、自分には見えず、大きさも人それぞれ違います。人は、努力をいっぱいこのツボに詰め込んでいきます。大きなツボを持っている人は、なかなか成果が見えない場合もありますが、必ずいつか『努力のツボ』がいっぱいになり溢(あふ)れてくるときがあります。その時を信じて、自分のツボにいっぱい努力を詰めていきましょう。『必ず努力は報われます』」という内容の話です。この話を今でも覚えていると言う卒業生が何人かいます。小学生の時に聞いた話なのに、その子たちの心に強く残っていることをうれしく思います。
しかし、現実問題として、努力は必ず報われるのでしょうか。私は、次のようなお二人を知っています。一人目の方は、大企業の正社員でしたが、何らかのトラブルで、退職を余儀なくされ、職を転々としながらも自分の希望する職種への再就職を目指して努力をしていました。しかし、思うようにいかず、だんだんと自分に嫌気がさし、引きこもってしまいました。二人目の方は、中小企業で、毎日こつこつと働き、やっとの思いで家を建てたのですが、災害に遭って、その家に住めなくなり、途方に暮れてしまっています。このお二人には、努力が足らなかったのでしょうか。私は、違うと思います。資本主義社会においては競争原理が働き、ある意味、弱肉強食の世界といえるでしょう。ですから、いくら努力しても報われないと感じている人も多いのではないでしょうか。
弱者に優しい社会は、本当の意味において、成熟した社会・国家だと思いますが、今の日本は、そして、私たち一人一人はどうでしょうか。もちろん、人の幸せは十人十色でさまざまです。ある人が幸せと思う出来事が、他の人にとってはそのように感じないこともあるでしょう。しかし、私たち一人一人は、幸福感の違いや多様性を認めつつ、それぞれの幸福を味わうために挑戦し続ける権利を持っています。人生において、挑戦する機会の平等は保障されるべきです。そして、努力が報われる社会を我々の手で作り上げていくと同時に、なかなか努力が報われないと感じている人たちとも支え合い、「違いや多様性」が大切にされる日がやってくることを願っています。